1985年(昭和60年)8月12日、520人の犠牲者を出した日本航空123便墜落事故にちなむ。遺族らがつくる「8・12連絡会」が編集したメッセージ集のタイトルから「茜雲忌(あかねぐもき)」とも呼ばれる。
羽田空港を離陸した日本航空123便は、大阪国際空港(伊丹空港)へ向かう途中、突如として機体後部が破損。操縦不能に陥った巨大なボーイング747型機は、約32分間にわたる壮絶な迷走飛行の末、群馬県の御巣鷹の尾根に墜落しました。
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事故の生存者はわずか4名、奇跡的な生存者を除き、520名もの尊い命が失われました。この事故は、単独機による航空事故としては世界最悪の犠牲者数を記録することとなりました。後の調査で、機体後部の圧力隔壁の不適切な修理が事故原因と特定されましたが、この悲劇は日本の航空安全に対する姿勢を根本から変える転機となりました。
遺族らによって結成された「8・12連絡会」は、犠牲者の記憶を風化させないための活動を続けています。事故後に編集されたメッセージ集のタイトルから「茜雲忌」と名付けられたこの日は、航空安全の重要性を再認識する日として、また520名の魂を慰める日として、毎年様々な追悼行事が行われています。
墜落現場の御巣鷹の尾根には、今も多くの人々が訪れ、祈りを捧げています。青い空と茜色の雲の下で起きた悲劇は、35年以上が経過した今も、私たちに安全の大切さと人命の尊さを問いかけ続けています。