1900年9月11日に日本初の自動公衆電話が東京の新橋駅と上野駅の構内に設置されたことに由来、この事は日本の通信史における大きな一歩でした。これに続き、翌月には京橋のたもとに最初の屋外用公衆電話ボックスが設置され、次第にその数を増やしていきました。
これらの電話は「自動電話」と呼ばれていましたが、その名とは裏腹に当時の技術では自動化には程遠く、電話をかける際には交換手が必要でした。交換手に繋いでほしい番号を伝え、手動で接続するというシステムだったため、電話機にはダイヤルもボタンもなく、現代のものとは全く異なるものでした。
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当時、そばが1杯1.5銭、コーヒーが1杯2銭という物価の時代において、市内通話の料金が15銭というのはかなり高額でした。このためか、利用者からは料金が高すぎるという不満が上がり、設置から3年後には市内通話は5銭、特別加入区域内との通話は10銭に大幅値下げされました。この値下げは、普及を促進するための重要な施策であったと考えられます。
その後、公衆電話は時代の変遷とともに日本中に広く設置されましたが、近年では人口減少や携帯電話の普及により、公衆電話の設置台数は減少しています。しかし、公衆電話の存在意義は消えていません。
特に災害時には、その価値が再認識されています。緊急時には通信が混み合い、携帯電話が繋がりにくくなることがありますが、公衆電話は通信規制の対象外として優先的に扱われるため、信頼できる通信手段として機能し続けます。これは、災害などで通信インフラが制限される中でも、迅速かつ確実に連絡を取るための重要な手段です。
そのため、災害や非常時に備えて、自分の生活圏内にある公衆電話の場所を把握しておくことをお勧めします。