「切腹最中」(せっぷくもなか)を持つ東京新橋の和菓子店「新正堂」が制定。大正元年(1912年)創業で、浅野内匠頭が切腹したとされる田村右京太夫屋敷跡(新橋界隈)に店を構えています。看板商品の「切腹最中(せっぷくもなか)」をはじめ、「仮名手本忠臣蔵味こよみ」「景気上昇最中」など、物語性と遊び心を和菓子に落とし込んだ品々で親しまれてきました。
「忠臣蔵」は、歌舞伎・浄瑠璃・映画・ドラマなど数えきれないほどの作品として語り継がれ、日本人の心に深く刻まれた物語です。主君の無念を晴らすために命を賭した四十七士の忠義、そしてその発端となった浅野内匠頭の決断──そこには、義理と人情、誇りと覚悟という日本人が大切にしてきた精神が凝縮されています。

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しかし時代が移るにつれ、忠臣蔵の詳細を知る人は少しずつ減りつつあります。この記念日は、忠臣蔵にまつわる数々の事柄を多くの人に語り継いでいただきたいという願いから制定されました。歴史の記憶を風化させることなく、次の世代へと繋いでいく──それが新正堂の使命であり、祈りでもあるのです。
日付は元禄14年3月14日(西暦1701年4月21日)に由来します。
この日、江戸城本丸松之大廊下において、勅使饗応役を務めていた播州赤穂藩主・浅野内匠頭長矩が、指南役の吉良上野介義央(きら こうずけのすけ よしひさ)に対し突如として刃傷に及びました。殿中での刃傷という前代未聞の大事件に江戸城内は騒然となり、浅野内匠頭はその日のうちに田村右京太夫の屋敷へ預けられ、即日切腹を命じられます。享年35。「風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせん」──辞世の句には、春の盛りに散りゆく無念がにじみます。