1911年(明治44年)2月21日、日本の当時の文部省は作家・夏目漱石に「文学博士」の称号を授与する意向を伝えました。この知らせを受けた漱石は、自らの信念に基づき「自分に肩書きは必要ない」と明言する手紙を、当時の文部省専門学部局長に送った事に由来する。
漱石は、時の文部省専門学部局長・福原鎌二郎宛ての手紙で、「自分は文学を以て立つ者にして、博士号の如き肩書きを必要とせず」という意思を明確に示しました。この決断の背景には、文学の純粋性を重んじ、官学的権威に囚われることを潔しとしなかった漱石の信念がありました。
当時、帝国大学教授などの知識人たちが、社会的地位の象徴として博士号を求める風潮がある中、漱石のこの潔い態度は、文学者としての矜持と芸術への真摯な姿勢を示す象徴的な出来事として、現代にも大きな示唆を与えています。
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夏目漱石は、1867年2月9日〈慶応3年1月5日〉に江戸(現在の東京都)で生まれました。本名は夏目金之助です。東京帝国大学で英文学を学び、卒業後は中等学校の教師として働きます。その後、イギリスに留学し、帰国後に第一高等学校と東京帝国大学講師として就任ののち朝日新聞社に入社しました。
漱石の代表作には、『吾輩は猫である』や『坊っちゃん』、『草枕』、『三四郎』、『それから』、『こころ』、『道草』、『明暗』などがあります。これらの作品は、明治時代の日本社会や人々の心理を鋭く描写しており、日本文学の近代化に大きく貢献しました。
彼は、自らの作品を通じて人間の内面を深く探求し、その中に普遍的なテーマを見出しました。漱石は1916年(大正5年)12月9日(49歳没)に亡くなりましたが、その影響は日本文学において今も色濃く残っています。