7月17日は 【あじさい忌】どんな日?制定目的・意味と制定理由解説!

昭和を代表するスター俳優・石原裕次郎(いしはら ゆうじろう)の1987年(昭和62年)の忌日。「あじさい忌」の名称は、石原が生前アジサイの花が好きだったことに由来している。

日活映画で兄・石原慎太郎の小説『太陽の季節』(1956年・昭和31年)でスクリーンデビューを果たす。その後、『嵐を呼ぶ男』シリーズなど数々の話題作で主演を務め、俳優としての地位を確立。同時に歌手としても彼の硬派な男らしさと、独特の低音ボイスで「夜霧よ今夜も有難う」「銀座の恋の物語」などのヒット曲を生み出し、二刀流のエンターテイナーとして絶大な人気を博した。

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1963年には自身のプロダクション「石原プロモーション」を設立。初代代表取締役社長兼会長として、渡哲也や舘ひろしなど多くのスターを育成した。52歳という若さで他界するまで、常に時代の先端を走り続け、映画・音楽・テレビと、あらゆる媒体で華々しい活躍を見せた。その生き様は、戦後日本の復興と成長を体現するものであり、今なお多くの人々の心に深く刻まれている。

石原裕次郎は1934年(昭和9年)12月28日生まれ1987年(昭和62年)7月17日(52歳没)、昭和を代表する俳優・タレント、石原プロモーション創立者で、初代代表取締役社長兼会長(同法人は2021年1月16日解散。2022年6月23日法人格消滅、清算結了)
没後の1991年(平成3年)7月22日に開館された石原裕次郎記念館(いしはらゆうじろうきねんかん)は建物の老朽化や来場者数の減少により2017年(平成29年)8月31日に閉館され建物も同年11月に解体された。

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