富山県富山市に事務局を置き、「おきぐすり」の発展・研究で保健衛生水準の向上をめざす一般社団法人全国配置薬協会が制定。
記念日は2019年(令和元年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。
「おきぐすり」は、富山県の富山城下で生まれた販売システムであり、江戸時代には全国に広まりました。その発祥は、富山十万石の藩主・前田正甫が腹痛を起こした岩代三春城主に「反魂丹」という薬を与えたことに端を発しています。この薬の効果に驚いた他の藩主たちからの依頼を受け、正甫は富山城下の薬種商にくすりの調製を依頼し、全国各地を行商させました。
スポンサーリンク「おきぐすり」の販売システムは、「先用後利」という画期的な方法でした。正甫の信念に基づき、薬を領内で配置販売し、定期的に回収し新しい薬と交換するというシステムを確立しました。販売員は良家の子弟の中から選ばれ、各地の大庄屋を回りながら薬を配置しました。また、未使用の薬は回収され、使用済みの薬に対してのみ謝礼金が支払われました。このシステムは、現在のクレジットとリース制度を組み合わせたものとして考えられています。
「おきぐすり」の発祥は富山県だけでなく、奈良県や滋賀県でもそれぞれの歴史を持っています。奈良県では、大宝律令の制定とともに医療制度が整備され、くすりの研究が行われました。滋賀県では、天智天皇や織田信長の時代から医薬原料に恵まれ、くすりの製造販売が行われていました。
「おきぐすり」の販売員は真宗信者であり、商法には「仏が照らしてくださる」という信仰心が重要な役割を果たしました。また、「信用三本柱」と呼ばれる商法も重要視されました。商いの信用、くすりの信用、人の信用の三つの柱を守りながら、顧客との信頼関係を築きました。
「おきぐすり」は明治維新の時期に苦難を経験しました。明治政府の医薬行政の変革により、西洋医学が日本に導入され、医療制度や医療教育が大きく変化しました。
江戸時代から300年以上にわたりセルフメディケーションの先駆けとして、地域の人々の健康維持・増進を支えてきた配置薬。「先用後利」という有用性、利便性、経済性に優れた配置薬をさらに多くの人に普及拡大することが目的。
日付は8と1で「は(8)いち(1)」と読む語呂合わせから8月1日に。
「おきぐすり」は、薬事法での正式名称は「配置販売業」です。配置販売業は、昭和18年の薬事法によって「売薬」という言葉が廃止されたことから、現在はこの名称が使用されています。
配置販売業は、薬事法で厳格に制限されています、法律的には「配置販売業」と呼ばれますが、一般的には「おきぐすり」と表現されています。