2月24日は 【鉄道ストの日】どんな日?制定目的・意味と制定理由解説!

1898年(明治31年)2月24日から2月27日にかけて起きた「日本鉄道機関方争議」、日本初の鉄道ストライキが実施されたことにちなむ。

日本鉄道の機関士ら約400人の機関方たちは、「待遇改善」「職名の改称」「臨時増給」を求め、労働罷免(ストライキ)を決行、上野から青森まで、全長約800キロの大動脈が完全に停止した。この出来事は、近代化する日本における労働運動の先駆けとなった。

鉄道の歴史を変えた街45

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当時の日本は、日清戦争勝利後の好景気に沸いていた。しかし、その恩恵は一部の階層にしか及ばなかった。特に鉄道現場を支える機関方たちは、過酷な労働条件と低賃金に苦しんでいた。彼らは真冬の寒風の中、石炭の粉塵を浴びながら、重責を担う仕事に従事していた。

一通の匿名の檄文が、この歴史を動かすきっかけとなった。「我々の命と責任で列車を走らせているにもかかわらず、なぜこのような待遇なのか」という切実な訴えは、多くの機関方の心に響いた。

その呼びかけにより、「我党待遇期成大同盟会」という秘密結社が形成され、機関方たちは遵法闘争を開始。そして首謀者が解雇されることで一層団結し、24日からの大規模なストライキに突入しました。

最終的に、会社側との交渉を通じて、労働者たちの要求が実現。3月28日からは職名の改正が行われ、鉄道の現場に初めて名誉が与えられました。また、日本初の企業別労働組合「日本鉄道矯正会」が結成され、その後の労働運動のモデルケースとなった。

日本鉄道の機関士ら400人がストライキに突入し、上野 – 青森間の列車が運休した。

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