2月27日は 【新選組の日】どんな日?制定目的・意味と制定理由解説!

1863年(文久3年)2月27日、江戸で「浪士組(その後の壬生浪士、新選組、新徴組)」が結成され京都へ向けて出発した事に由来する。

この組織は、将軍・徳川家茂の上洛に際し、警護を目的として幕府が募ったもので、京都へ向けて出発しました。しかし、京都到着後、浪士組の指導者であった清河八郎が本来の目的と異なる主張をしたため、浪士組は分裂します。

新選組 幕末の青嵐

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この動きに反発した近藤勇や芹沢鴨らは、京都に残り、「壬生浪士組」を結成。その後、1863年8月頃には「新選組」の名が定着し、京都守護職・会津藩の支援を受けて正式に活動を開始しました。彼らの使命は、京都の治安維持と反幕府勢力の取り締まりでした。

新選組は、単なる警備組織ではなく、徹底した統制のもとで京都に潜む反幕府勢力を取り締まりました。1864年の「池田屋事件」では、長州藩などの尊王攘夷派が計画していた京都での一斉蜂起を未然に防ぎ、その名を歴史に刻みました。しかし、その後の禁門の変(蛤御門の変)や倒幕運動の激化により、新選組が守ろうとした幕府の権力は次第に揺らいでいきました。

幕末という動乱の時代に、己の信念を貫き刀を握った男たち――。新選組は、幕府を支えた最後の武装集団として、日本の歴史にその名を刻んでいます。ただし、その隊士の多くは町人・農民出身の浪士でしたが、武士出身者も含まれていた。

この他にも3月13日も東京都日野市観光協会によって「新選組の日」とされている。1863年3月13日に、会津藩主で京都守護職の松平容保から「会津藩御預り」とする連絡が入り、この後に新選組となる「壬生浪士」を名乗った事にちなんでいます。

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