1918年(大正7年)7月23日のこの日、富山県魚津町の漁師の主婦ら数十人が米の県外への積み出しを止めて、地元住民に販売するよう集団運動を起こし、この運動は全国にまで広がり、米騒動となった。
1914年(大正3年)の第一次世界大戦後の物価上昇の中で、都市部の人口増による米不足、米商人による買い占めや売り惜しみなどにより米価が急騰した。
スポンサーリンクこの米価高騰に苦しんでいた魚津町の漁師の主婦ら数十人が米の積み出しを行っていた十二銀行の米倉庫前に集まり、米の県外への積み出しを止めて地元住民に販売するよう要求し、米の搬出は中止された。この事件が新聞で報道されると、全国的な米騒動へと波及し、政府は警官と軍隊を投入し、また新聞報道を規制するなどして鎮圧しようとした。
しかし、これは言論報道の自由を要求する運動に発展し、1918年(大正7年)9月21日に寺内内閣は総辞職し、原内閣が誕生した。