京都府京都市に事務局を置く「伏見寒天記念碑を建てる会」が制定。
京都の伏見が寒天発祥の地であることをアピールし、京都市伏見区御駕籠町近辺に記念碑を建て、啓発活動を行いながら寒天の発祥を祝い後世に伝えていくのが目的。
スポンサーリンク寒天の製造のきっかけは17世紀半ばのこと。薩摩藩主が参勤交代の途中で伏見の旅館、美濃屋に泊まった。心太の原料のテングサを煮て作った「ところてん料理」の食べ残しを外に捨てたところ、冬場の寒さで凍結。それが日中の気温で溶けて乾燥し、干物になった。これをヒントに宿の主人が作って売り出したのが、寒天だという。
日付は、現在の暦で12月末頃に初めての寒天の元となるところてんが御駕籠町で島津藩に提供されたと資料から推察できることとから12月。
京都市伏見区の伏見=ふしみ(243)を「24+3=27」と見立てて27日。
提供された現在の暦の12月と伏見の27日を組み合わせて12月27日を記念日としたもの。